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シンセサイザーの歴史(アナログからデジタルへ)
<アナログ編>
シンセサイザーという楽器、今ではどの楽器店でもお目にかかるし、聴くこともできるのですが本当の楽器と比べると、どの部分が勝ってどの部分が劣っているのでしょうか。シンセサイザーと呼ばれるようになって30数年が過ぎようとしていますが、実は今世紀(20世紀)の初めには、もう今のシンセサイザーに似たようなものがありました。もちろん電気を使ったものでThaddeus Cahill(タディウス・ケッヒル)が作っ"Telharmonium"(テレハーモニューム)というもので、真空管もない時代だったので、とてつもなく大きいものでした。
1916年には、Leon Thermin(レオン・テルミン)が作った"Theremin"(復刻版Midiテルミンがある)や、1928年にはMarice Martenot(マリス・マルトノ)が"Ondes Martenot" (オンド・マルトノ)という楽器を作り、これらの楽器の奏でる音はJolivet and Messian (ジョリベットとメシアン)の"Three Little Liturgies"などの曲の中で聴くことができます。この頃にはハモンド・オルガンも作られ始めているし、またシンセサイザー音楽で切っても切り放せない録音の機器も第二次世界大戦を境に急速な発展をし、磁気テープの録音機が出てきました。
1940年代の終わり頃から1950年代には音楽の分野で、現在のサンプラーの原点そのものである、Musique Concrete(ミュージックコンクレート=具体音楽)が始まりました。 Pierre Schaeffer(ピエール・シェフェール)というエンジニアの人が始めたもので、1948年のフランスのラジオ放送で"Concert of Noise"を発表し放送され、また彼はもう一人のエンジニアJacques Poullin(ジャック・ポーリン)と組んで、いままでの伝統的な楽器以外の身の回りに存在している音を録音し、これらの音を曲の素材として構成し、それまでの音楽とは全く違うものを創ったのです。
1949年にはドイツのMeyer Eppler(メイヤー・エプラー)が、電子音響装置から創られた音の素材を、テープに録音しながら行うElectronic Music(電子音楽)についての研究を 発表しました。やはり同じ時期にアメリカではTape Music(テープ音楽)と題して盛んに活動が行われ、その後RCAにおいてHarry Olsen(ハリー・オルソン)とHerbert Belar (ハーバート・ベラー)が電子音楽合成装置の研究の末、RCA Mark II Electronic Music Synthesizerをデザインして作ったのです。このシンセサイザーは従来の楽器にある音色などを電子装置を使って模倣しようとしたもので、それまでの電子音楽や具体音楽のように、音の素材を従来の従来の楽器以外に求めて、新しい作曲の方法として取り扱ったものとは違うものでした。
1960年代に入ると電気産業ではトランジスターの出現があり、Robert Moog(ロバート ・モーグ)はシンセサイザーに必要な機能回路をトランジスターを用いて組み立て、初めてシンセサイザーが量産されるようになったのです。彼の作ったシンセサイザーは、現在あるアナログ・シンセサイザーまたデジタル・シンセサイザーの基本になったもので、かれの功績は永遠に語りつがれるでしょう。
内容としては、Voltage Cotrolled(ボルテージ・コントロール=電圧制御)の回路を備えたModular(モジュラー)形式のシンセサイザーで、このシステムだと後から自分の好きなだけモジュールを増やしてシステムを大きくすることもできるし、モジュールの組み合わせも自由に行えるのです。それは現在のバージョン・アップに似ているのかもしれません。またボルテージ・コントロールは、ほとんどのモジュールに共通して使える機能であり音色、ピッチ、音量、ビブラート、ポルタメント...などすべての指令はこのボルテージ・コントロールで制御されているのです。
ボルテージ・コントロールのプログラミングは、Computer Sequencer(コンピューター・シークエンサー)で一般的に行われています。また、このようなモジュール形式のシンセサイザーはMoogの他に、Donald Buchla(ドナルド・ブークラ)、イタリアではPaul Ketoff(ポール・ケットフ)が開発をしていました。
モーグ・シンセサイザーは1968年にWalter Carlos(ウォルター・カルロス/後のWendy Carlos ウェンディー・カルロス)が、"Switched on Bach"(スイッチド・オン・バッハ)を レコードとして発表し、Buchlaの方はMorton Subotnic(モルトン・サボートニック)の音楽と共に世間に知られるようになりました。
システムの中でもモジュール形式で販売されているシンセサイザーは、使う側が好きなように組んでいく利点もあるのですがコストが非常にかかることもあり、安価で小型化された製品をどのシンセサイザー・メーカーも作り始めました。 ex. Mini(Midi) Moog/ARP Odyssey/EMS-VCS 3/.....
1970年代はトランジスターからIC、LSIの時代に移行しつつシンセサイザーも1976年にはSolid Stata Music(ソリッド・ステート・ミュージック)社からシンセサイザーのために作られたICが初めて販売され始めました。このICはVCA(Voltage CotrolledAmplifier,ボルテージ・コントロールド・アンプリファイヤー=電圧制御増幅器)であったりVCF (Voltage Controlled Filter=電圧制御濾波器)などのモジュール回路が納められていたのです。それによって機能回路は簡略化され、コンピュータで制御され小さなスペースで大変複雑な装置を備えたシンセサイザーが現れました。 ex. Sequential Circuit PROPHET-5/Emu System Synthesizer/.....
その他コンピュータ制御という面では、ローランド社がSystem 700と同時に8080AというCPUを使ったデジタル・シーケンサーMicro Composer(マイクロ・コンポーザー)MC-8を発表し、これを前後にシンセサイザーの革新的な時代に突入していくのです。
<デジタル編>
MIDIとは?
MIDIとはMusical Instrument Digital Interface の略称です。つまり他社同士のシンセサイザーのデータをデジタル化し、情報をやりとりするためのインターフェイス規格です。MIDI規格は電子楽器以外の分野(照明/MTR等)でも利用され扱いやすい規格であることを物語っています。 さてその歴史とは、どのような過程を経てきたのでしょうか..... 今までのアナログ・シンセサイザーはそのほとんどはCV/GATE(TRIGGER)方式ですが、電圧コントロールに関してはメーカー同士異なった設計をしていたのでCV/GATE(TRIGGER)を接続したところで希望する演奏(音色)にはなりませんでした。
そこで、他社のシンセサイザー同士を接続して演奏するには、CV/GATE(TRIGGER)方式を統一し、正確に安定したコントロールを1本のケーブルで送受信することが望まれたのです。それがデジタル信号による楽器の接続へと進み、ついに1982年アメリカ・カリフォルニア州アナハイムで開かれるナム・ショーおよびドイツ・フランクフルトのムジーク・メッセの世界楽器トレードショーがあり(今でも存続している)これがワールドワイドな会合の場所となっていました。
1982年1月のWestern NAMMの会合では、ヤマハ/ローランド/コルグ/カワイ/シーケンシャルサーキット/オーバーハイム/CBS/ローズ/ Eμ/ミュージックテクノロジー/オクターブ/パスポートデザイン/シンタウリが参加してMIDIの基本的な機能や、8bit/31.25kbaudの転送速度などが提案されました。
その後は日本のメーカーが中心になって、MIDIチャンネルの概念,システムエクスクルーシブなどの細かい部分の技術的統一がなされ、1982年10月にアメリカのKEYBOARD誌で一般に発表されました。その後現在に至るまで、日本側はMIDI規格連絡協議会(JMSC)が発足し、後1994年4月1日MIDI規格協議会、全国電子楽器協議会、日本電子音楽ソフトウェア協議会が合併して音楽電子産業協会(通称アメイ:AMEI Assosiation of Musical Electronics Industry)となり、1996年4月1日に通商産業省の認可を受け社団法人化され名称も(社)音楽電子事業協会に変更され現在に至っています。アメリカ側はIMUG⇒IMA⇒MMA(MIDIマニュファクチャラーズ・アソシエーション/メーカー中心の機関)に発展しました。現在もAMEIとMMAとの協議により、IDの管理、MIDI規格の検討を行っているのです。改訂に改訂を重ね、1989年1月1日に「MIDI1.0規格(Ver.4.1日本語版)」が発行され、現在のMIDI機器はこれを基に製造されています。
MIDI規格そのものは、今も昔も何も変わっていません。より細分化されたものの規格が追加されているだけです。その良い例が音色の増加であり、これは本来のMIDI規格ではなくOptional(追加)の部分なので、準ずる扱いです。現実にこのような新たな追加事項を無視するわけにはいかない状況となり、MIDIケーブルでの通信プロトコル以外の部分を拡張管理して使用しています。
その最大の定義(提唱)がスタンダードMIDIファイル(SMF)です。これはMIDIデータのファイル保存形式で、最初はMIDI規格ではないとされていましたが、そのネーミングと簡便さから知らず知らずに世の中に広まってしまい、無視できない状況になりスタンダードMIDIファイルを定義付けしたのです。
<MIDI出現以降のシンセサイザー>
日本製品
1. ヤマハ
スティーブン・スピルバーグ監督の映画「未知との遭遇」で異星人との交信に使われたフレーズを、当時のSY-1(1974年11月発売)を使用したことが印象深く感じられます。
このようなスペイシー・サウンドが流行っている中で、モジュール型シンセサイザー(通称:タンス)がその主流を占めている中で、ヤマハは巨大なエレクトーンというかたちでその全貌を表した。それがFM音源の始まりと言うべき、GX-1の登場である。事実これはそれまで夢のようなことであった巨大なポリフォニック・シンセサイザーであり、価格も700万円と破格であった。
他社がポリフォニック化するのに問題解決できず苦労していた時代に、「モノよりポリでスタートした点が少々変わっていたことは、確かである。その後、他社との価格戦争が始まりCSシリーズの登場となるわけである。このシリーズにはいろいろなバージョンがあり、FM変調ができたCS-30などがあった。また上位機種のCS-50,60,80などではポリフォニック・キー・プレッシャーなどの追加でより、表現が豊かになり「技術のヤマハ」の本領を発揮したのである。特にCS-80は「究極のアナログ・シンセサイザー」と呼ばれた。
徐々に安価で高性能のポリフォニック・シンセサイザーが他社から発売された頃、衝撃のシンセサイザーが1983年に発売された。皆さんも"よ〜く"知っている 「MIDI搭載」「FM音源搭載」「16音ポリフォニック」DX-7を始めとする"X"シリーズの登場である。
この"X"シリーズの母胎なったものにGS-1(価格:260万円)があった。
そのコンセプトは第一にすでにあった「ポリフォニック」、第二に「独創的発音メカニズムの開発」、第三に「演奏者の表現力を活かす良質な鍵盤」であった。 開発はCSシリーズと同時期にスタートしたが、商品化までに10年かかったことになる。
'80年代後半からは、サンプリング音源を搭載したシンセサイザーが登場してくることで、各社メモリー容量や圧縮技術の方向にその力を注ぐこととなる。 SYシリーズの登場は1989年で他社の発売より遅れたせいか、影が薄いことは否めない。
しかしFM音源とAWM(サンプリング音源)の2タイプの音源が選べ、それぞれ加えたり掛け合わせたり(サンプリング波形でFM変調)することのできる自由度が高い点、価格が高すぎた。
'90年年代に入りますます圧縮技術とDSP(Digital Signal Processor)技術の戦いとなった。 ここでVA(Virtual Acoustic)音源が登場するわけで、リアルだが表現力に乏しく音色変化の少ないサンプリングと、表現力はあるがリアルさに欠けるFM音源に代わる物理モデル音源として登場したが、演奏の特殊技術を必要とすることで、価格の高さも相まって衰退し現在はXG音源の一部として存在している。 つまり、すばらしい技術ではあるが時代の要求が追いついていなかったのであろう。
1994年にはDTM音源のフラッグシップXG-50が発売され、XG-80,90,100,100R,128と進化を遂げる。
1998年SYシリーズを受け継いだ次世代シンセサイザー,EXシリーズを発表した。 DSP技術をふんだんに取り入れたシンセサイザーとして評価はすこぶる高いものである。
結論:今後も時代をリードする「ヤマハ」であって欲しい!!
2. ローランド
ローランドは現在、世界最大のシンセサイザー・プロダクツ・メーカーであり最新のテクノロジーを駆使して、常に最先端のシンセサイザーを開発し続けている。 と同時にモーグ・シンセサイザーの思想の最も正当な継承者でもある。
1973年に、最初のシンセサイザーSH-1000が発売され、価格は10万円台で当時の輸入シンセサイザーから比べれば破格の低価格であり、国内ミュージシャンに定着させる第一歩となる。SH-1000は自由に音色を創れるコントロール・タイプの機能に加え、10種類のプリセット音色も選べるユニークなシンセサイザーであった。
コントロール・パネルで固定した音色しか出ないタイプのシンセサイザー が主流の時代に、プリセットという機能を持つことでボタン一つで 切り替えられるすばらしいシンセサイザーであった。とはいえ、 プリセットの音色はリアルな音色とは言えず、木管系の音色はそれらしき フレーズを弾けば聴こえないこともないが、ピアノなどはほど遠いものであった。 しかしだからといって、音楽に使えないわけではない。つまりシンセサイザー は先述したとうり、生楽器の模倣ではないという根本の考え方がこのSH-1000にはある。
今聴くと、あまく澄んだリード系の懐かしい音色がし、現在の音楽シーン にも充分通用する。雑誌・広告でしか見ることのできなかった外国製のシンセサイザーに比べ、 SH-1000は店頭で触れてみたり購入を考えられる時代の幕開けでもあった。 SH-1000に続いて、1VCOモデルのSH-3、アフター・タッチ装備のプリセット 専用機SH-2000を順次発売する。そして2VCOタイプの本格派シンセサイザーSH-5が登場する。
1976年に国産初のシステム・シンセサイザー(通 称:タンス) SYSTEM 100/SYSTEM 700が発表された。価格もフルシステムで 265万円であったが、外国製のモーグ/アープ/EMSなどのシステム からくらべれば機能的にも劣らない部分安価であった。 このSYSTEM 700の開発を通 して、その後のアナログシンセサイザー 開発の基礎技術をおおむね把握し、その後の製品展開に大きな影響 を与えることになる。しかしどのシステムもそうであるが、 巨大にもかかわらず鍵盤演奏はモノフォニック(単音)であった。 そこで自動演奏を実現させるためにアナログ・シーケンサーが組み込まれたが、 36ステップが最大で簡単なアルペジオやスケールにか使えなかった。 そこで登場するのが膨大な記憶音数を持つ、マイクロ・コンポーザー MC-8の登場である。おそらく世界初のマイクロ・プロセッサー(CPU/8080A) を使った楽器(自動演奏装置)であり、現在のシーケンス・ソフトにも継承されている。
そして1978年YMOに代表されるテクノ・ポップの登場と共に、 第一期のシンセサイザー黄金期を迎え、ミュージシャン以外 の一般の人達の間にも認知される楽器になっていった
1978年SH-1とSH-7を発売する。それぞれSH-3とSH-5の後継機種 として設計され、新しい改良がなされたSH-1は初めてプラスチック製 のパネルを採用し、10万円を切って登場した。SH-7はふたつのVCO を使って鍵盤により2音発音させることができた。
そして、それ以降のローランドのほとんどのアナログ・シンセサイザー がこの2台のシンセサイザーの技術を継承することとなる。 つまり分厚いローランド独特の音色が確立するのである。
1980年代は価格戦争も相まって、国産アナログ・モノフォニック・ シンセサイザーの最終世代として、ショルダー・キーボードに も使用できるよう考慮されたSH-101が登場する。低価格でコンパクト。 回路的にも洗練され、デジタル制御による安定性、使い勝手の良さ、 またなんといってもすばらしい装置にデジタル・シーケンサー も搭載していた。これによってシンセサイザーの世界に入門する人も多かった。
そして、1979年に世界初のマルチCPU搭載ポリフォニック・シンセサイザー JUPITER-4を発売する。新たな機能も搭載され、オート・アルペジオ/ ユニゾン・モード/内蔵コーラス回路もその代表的なものである
1981年にJUPITER-8を発表し国内価格98万円にもかかわらず、 性能および機能が評価されトップ・クラスのシンセサイザーとして、 全世界に定着させる大きなステップとなった。アマチュア・ ミュージシャンにも手の届くポリフォニック・シンセサイザー として登場するのがJUNOシリーズである。この製品の中枢をなすものが、 新たに開発した音源DCO(Digital Controlled Oscillator)である。 そしてJUNO-6、メモリー機能のついたJUNO-60、αJUNO-1、αJUNO-2 と世代交代していくがどれも人気が高かった。
そして登場するのが、ローランドMIDI搭載JX-3P、JUPITER-6である。 JX-3Pはプログラマブル・プリセット・ポリフォニックから"3P"と名付けられ、 音色設定の別売プログラマーを設定した新しいスタイルを提案した。 これがだいぶ好評だったようで、つまり音創りを皆さんしていたようである。 JUPITER-6はJUPITER-8のリファインされたモデルとはいえ、 クロス・モジュレーションやオシレーター・シンクを活用した金属的な音や、 鋭いブラスの音も得意だった。JUPITER-6を8ボイスにしてモジュール にしたものがMKS-80で、今でも多くのミュージシャンに使用されている。
1987年にデジタル・シンセサイザーとしてD-50が登場する。 アナログ・シンセサイザー的な音創りの部分とPCM音源のリ アルな音源のハイブリッド構成で、デジタル・エフェクター 内蔵を持ち、今まで例がない構成のシンセサイザーであり、 FM音源とは完全に一線を引いていた。
そして1987〜1988年に、線形演算合成方式(Linear Arithmetic Syntheses) "LA"方式と名付けた音源のチップを開発し現在のJDシリーズ/JVシリーズに も受け継がれている。1989年末、当時開発中の新しい音源チップGPを100% 活用した新世代音源の開発を目的とした、GSS開発プロジェクトチームがス タートした。将来長期に渡って次世代の標準機として、使用することがで きる高音質、高性能、ハイコストパフォーマンスを最も新しい技術で実現 する方向を選択したのである。そしてGSフォーマットを完成し、1991年1月 アメリカのNAMMショーで、GSフォーマットとその音源を搭載した マルチティンバー音源SC-55を発表する。SC-55はGM(General Midi)に適合 する音源の1号機となった 後のSC-55MkII、SC-88、SC-88Proへと進化していくのである。
結論:今後もアーティストの気持ちを理解できる「ローランド」であって欲しい!!
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